ほとひろダイジェスト
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01長浜
わたしたちが暮らすまち
長浜は、沼田、明神、胡子、東の4つの地区に分かれています。
秋の入江神社のお祭りには、各地域から太鼓が出され、
町中には船旗などが飾られて賑やかです。
広でいちばん古い歴史を持つ長浜のレポートを
ダイジェスト版でご紹介します。
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長浜地区は、坂の町尾道と同じように、
少し奥へ入り込むと急な細い坂が入り組んでおり、
少し上るだけでその景色は一変。
家並みの隙間に瀬戸の穏やかな海を望むことができます。
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垰を越えて坂を下り切った辺りにある池庄司酒店。
昔は11月3日の入江神社例祭で太鼓を担いで辻を練り歩いた男たちが、
のどの渇きを潤す場所だったそうで、昔ながらの酒屋の風情を今に伝えています。
ここは表の元の電車通りから見ると二階建て、
裏から見ると中二階のある三階建てという変わった構造になっており、
中二階は人の背丈ほどの高さで主に倉庫として使われていたそうです。
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午後三時になると、かつてメインストリートだった通りの辻角に、
新鮮な魚や食料品を積んだ藤井さんのお店がオープンします。
特にスピーカーで放送しなくても、自然にお客さんたちは集まってきて、
買い物半分、おしゃべり半分。とてもほのぼのとした風景でした。
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胡子湯の煙突が見える専徳寺からつづくこの通りは、
かつて、ここに来れば必要なもの全てが揃う商店街だったそうで、
この道沿いの建物には、当時でいうとハイカラ、
今ならレトロモダンな装飾が施された外壁や屋根を見つけることができます。
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大正時代?いやそれ以前からつづいているという証として、墨で書かれた
かつて長浜地区に3軒あった風呂屋の料金に関する協定書を見せてくれたご主人。
3回の交渉でようやく撮影OKが出た場所です。脱衣所もさることながら、
風呂の床面はタイル貼りでなく石が敷かれているのには驚きました。
夕方入浴に来るお客さんは、番台に人がいなくても千円札を番台に置いたまま入浴、
帰るときにおつりをもらっていたり、手ぶらで来て、置きタオルをパッと取って
颯爽と入っていくところなど、建物も常連さんも粋な銭湯でした。
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PR用のポスター画像として選んだ入江神社裏の通り。
ここだけ切り取ると、竹原か御手洗か・・・といった風情のある場所でした。
広島国際大学呉写真部の学生2人が路面に這い蹲りながら、
デジタルとフィルムの両方でシャッターを切りました。
本当に仲の良いモデルの2人は、地元長浜中学校(当時)の生徒さんでした。
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暮れていく空が、
薄いピンクからオレンジ色に変わる時間帯に
長浜港の波止で撮影しました。
「座って話しよってね。」という以外に、
特別な演出はしませんでしたが、
モデルの2人は本当に仲が良いのでしょう。
撮影中ずっと話が途切れることがありませんでした。